平和
2015年東都生協 ナガサキ平和代表団 報告
長崎の鐘と町中のサイレンが鳴り響く中、原爆犠牲者の冥福を祈り黙祷を捧げました
長崎爆心地碑。 |
組合員から託された |
田上富久 長崎市長 |
被爆者の証言を聴く |
「ピースアクションinヒロシマ・ナガサキ」は、広島県生協連・長崎県生協連・日本生協連が、被爆体験の継承や核兵器のない世界への思いを共有する場として毎年開催。1978年のスタートから、東都生協も毎年代表を派遣しています。
1日目は「被爆の証言と紙芝居」に参加。
1歳9カ月だった当時に被爆した男性からは、被災した当時の様子や、その後毎年8月9日になるとご両親が当時の状況を話してくれたことなど1時間にわたってお話しを聞きました。
その後、平和案内人(※)による紙芝居「平和を刻んだ少女 菅原耐子さん」を鑑賞。
爆心地から500mの場所にある城山小学校に建てられた少年平和像の台座に書かれた「平和」という文字を書いた当時6年生の少女(菅原耐子さん)の実際の出来事を1年かけて調べ、作られた紙芝居でした。
2日目の午前中は、原爆落下中心地碑~如己堂(にょこどう)・永井隆記念館~浦上天主堂を巡る「平和のまち歩き」に参加しました。平和案内人から、原子爆弾投下直後の人々や町の様子なども詳しく聞くことができ、爆風や熱線の威力を実感しました。
午後は、日本生活協同組合連合会主催の「虹のひろば」に参加。
オープニングは「波佐見町 鹿山雷神太鼓」による迫力満点の太鼓演舞で始まりました。
被爆者(山口仙二さん)の魂の軌跡を音楽と語りで紡いだ「ノーモア・ヒバクシャ」では歌手で俳優の上條恒彦さんの素敵な歌声と劇団TABIHAKUが織り成すハーモニーに会場中が感動をしました。
2015年NPT再検討会議に合わせニューヨークへ行かれた長崎原爆被災者協議会会長の谷口稜嘩(すみてる)さんと、ララコープ会長理事の水町初江さんのリレートーク、8月5日ピースアクションinヒロシマで行われた「子ども平和会議」のアピール文発表なども行われました。
最後に、平均年齢77歳という世界で唯一の被爆者合唱団 被爆者歌う会「ひまわり」による合唱を聴きました。
最後の曲「We never forget」では参加者も一緒に歌い会場が一つになりました。また、長崎市の田上富久市長からのあいさつもありました。今年は全国の生協から約900人の参加があり、平和への思いを一つにしました。
最終日は、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列し、長崎の鐘と町中のサイレンが響く中、原爆犠牲者の冥福を祈り黙祷を捧げました。
実際に原爆の遺構を見たり、被爆証言を聴いたりすることで、原子爆弾の威力の大きさや、戦争に巻き込まれてしまった子どもたちの思いなどを肌で感じることができました。
今年、被爆者の平均年齢が初めて80歳を超え、被爆体験を語り継ぐことへの危機感が募ります。
まずは今回見聞きしたことを身近な人たちへ伝えていくこと、そしてたくさんの人がこうした企画に積極的に参加することが大切だという思いを参加者で共有しました。
※平和案内人:
平和案内人(ボランティアガイド)は、被爆者の高齢化が進む中、被爆の実相と平和の尊さを次世代に伝えていくために活動しています。主に長崎原爆資料館や国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館、平和公園周辺の被爆建造物などを一緒に巡りながらガイドを行います。
出典:公益財団法人 長崎平和推進協会ホームページ
公益財団法人 長崎平和推進協会ホームページ(別ウィンドウで外部サイトが開きます)
第32回沖縄戦跡・基地巡り報告
「基地の中に沖縄がある」戦後70年の沖縄の現状を学びました
對馬丸の体験を語る平良啓子さん |
県民の意思を無視したまま建設が進む |
辺野古新基地建設反対の座り込みテント |
初日の全体会では、1944年当時9歳で疎開のために学童疎開船「対馬丸」に乗船し、アメリカ潜水艦の魚雷を受け、6日間の漂流をした平良啓子さんの「沖縄戦の体験を聞く~対馬丸事件~」と、眞鍋 詩苑さんによる「若者から見た沖縄の現状と本土の皆さんに訴えたいこと」と題した講演がありました。
その後、夕食懇親会では、沖縄の民謡や踊りなど文化や伝統に触れながら、全国から参加された生協の組合員と交流を行いました。
2日目、3日目は「基本コース」「親子コース」「盛りだくさんコース」と3つのコースに分かれ見学を行いました。ちょうどニュースで取り上げられている、普天間基地や辺野古も訪れました。
「沖縄では辺野古が争点になった選挙全てに辺野古新基地建設反対派が勝利した。それだけの民意で『建設NO!』と表明しているのに国は民意を無視し続けている。しかし、新基地建設反対のうねりを止められる人は沖縄にはいない」。
「青珊瑚は三千年の賜物。壊すのは一瞬、二度と再生できない。東京で物を見ているのと、沖縄で物を見ているのでは違う。辺野古で起きている現実を捉えてほしい」という辺野古基地前で座り込みをしていた方の話が印象的でした。
参加者からは
「初めて沖縄の実態を知ることができました。私はやはり他人事のような感じで沖縄の問題を見ていたように思います」
「沖縄の人々と本土の人との基地に対する温度差を感じた」
――といった感想がありました。
改めて沖縄や日本の平和について考える3日間の旅となりました。
松代大本営地下壕見学会
太平洋戦争末期の国家中枢機能移転のために作られた地下壕の実相を学びました
壕の入口 |
壕の内部 |
見学の様子 |
参加者の皆さん |
松代大本営地下壕は、太平洋戦争末期、日本(当時の大日本帝国)の国家中枢機能移転のために、長野県埴科郡松代町など(現在の長野市松代地区)の山中に掘られた地下坑道です。象山(ぞうざん)、舞鶴山(まいづるやま)、皆神山(みなかみやま)の3カ所が掘削されました。三つの地下壕の長さは10km余りに及びます。
1944年(昭和19年)11月11日、象山にて最初の発破が行われ、工事が開始されました。ダイナマイトで発破して崩した石屑を、トロッコなどを使った人海戦術で運び出すという方法で行われ、最盛期の1945年(昭和20年)4月頃は多くの日本人、朝鮮人が作業に従事しました。
象山地下壕には、政府、日本放送協会、中央電話局、舞鶴山地下壕付近の地上部には、天皇御座所、皇后御座所、宮内省(現在の宮内庁)として予定されていた建物、皆神山地下壕には、備蓄庫の移転が予定されましたが、完成前に終戦となりました。
当日は晴天に恵まれ、さわやかな一日でしたが、地下壕の中に入ると肌寒いくらいでした。
「コープながの」の方2人にガイドをお願いし、象山地下壕、舞鶴山地下壕(天皇御座所)を見学しました。非常にわかりやすく丁寧に説明をしていただき、参加者もメモをとるなどして熱心に耳を傾けていました。
当日の参加者からは、
「これから、何年、何十年、何百年たっても戦争の悲惨さを伝えっていってほしい」
「国民の知らないところで、事が進められていく。いつの時代も国民が主権者なのにと思うのだが...」
「国が、秘密であのような地下壕を掘っていたなんて、驚きでした」
この企画を通し、平和への想いを一層深く考える一日となりました。
終戦記念日を前に、親子で平和について考えました
丸木美術館、埼玉平和資料館を巡り、平和について考えました
小さなお子さんからご高齢の方まで参加 |
迫力ある画家の丸木位里・丸木俊夫妻の絵。 |
戦争に関する資料に見入る参加者 |
丸木美術館では学芸員から「丸木夫妻は原爆を、きのこ雲のイメージだけではなく、生身の肉体そのものの痛みとして伝えたかった」という製作時の話を聞き、涙する人も。
埼玉県平和資料館では資料に直接触れ、戦争当時の状況を肌で実感。参加した中学生からは「当時の人が戦争をダメなものと思わなかったことに驚く」との感想も聞かれ、平和について深く考えるきっかけになったようです。
第11回 東都生協平和のつどいを開催しました
Hope For Tomorrow 語り合おう平和への願い
(一社)東友会 木村徳子さんによる |
東友会の皆さまに膝掛けを贈呈 |
ピーター・フランクルさん |
![]() 手作りのすいとん |
展示・体験コーナー |
るんるんズのプラバン作り |
戦争ほうき(放棄) |
今年は、例年行っているステージや展示発表に加えて、手作りのすいとんの試食や、戦争ホーキ・プラバンを作成する体験コーナーなど、学びと楽しさを兼ねた盛りだくさんの企画での開催となりました。当日は約150人が参加しました。
東都生協がこの間取り組んできた平和活動を紹介。8月に実施した東都生協平和代表団の広島・長崎訪問の様子や、沖縄戦跡・基地めぐり、長野県の松代大本営地下壕見学会など、組合員から寄せられた平和募金も活用した、さまざまな活動が映像で紹介されました。
この後、一般社団法人 東友会の木村徳子さんに、ナガサキでの被爆体験をお話しいただきました。
被爆証言に続き、東都生協組合員から東友会の皆さんに膝掛けを贈呈しました。この膝掛けは、組合員が毛糸で編んだモチーフを、とーと会「ピースニットカフェ」がつなぎ合わせて作ったものです。
休憩をはさみ、地下ホールのメインステージでは数学者で大道芸人のピーター・フランクルさんに「ワタシがワタシであるために」を講演していただききました。オープニングでは大道芸もご披露いただきました。
2階の展示・体験コーナーでは、第五福竜丸とビキニ事件に関するパネルや、ひざ掛けなどを展示しました。
手作り体験コーナーでは、戦争ホーキ・るんるんズのプラバン作りや、モチーフ編み、折り鶴つなぎをおこないました。
3階「すいとんをたべよう!」コーナーでは、手作りのすいとんを試食。おいしくて大好評でした。
参加者からは、
「ピーター・フランクルさんのお話がとてもよかった」「子どもたちの参加もあり、戦争を知らない世代にも平和の大切さを伝えられる機会になった」「被爆者の方の生の声を聞くことができ、とても良い経験となった」などの声が聞かれました。
平和の大切さを考え、学んだ一日となりました。
2014年度東都生協ナガサキ平和代表団 報告
核兵器廃絶を求める被爆者やナガサキの思いを共有し、未来へつないでいくことの大切さを実感しました
当時の様子を語る被爆者の方の証言 |
東都生協ナガサキ平和代表団 |
前方に約10度傾き、前方に12cm |
2014年春、長崎出身の福山雅治さんの |
山王神社の二の鳥居。爆心地 |
東都生協の代表として平和公園に |
平和祈念式典前日には、平和への願い |
「ピースアクションinヒロシマ・ナガサキ」は被爆体験を継承し、核兵器のない世界への思いの共有する場として日本生協連と広島県生協連・長崎県生協連が1978年から毎年開催している生協独自の平和集会。東都生協は同年より広島・長崎に代表団を送る取り組みを続けています。
1日目は「紙芝居と被爆の証言」に参加し、当時13歳で爆心地より2.5kmの自宅で被爆した方から、原爆投下後の市内の様子など紙芝居を交えながら聞きました。
2日目の午前中は、原爆の爪痕が今も残る場所を巡る「平和のまち歩き」に参加しました。
コース:長崎医科大学~被爆門柱~山王神社・被爆クスの木~一本柱鳥居
いずれも爆心地から半径1km以内にあり、爆風や熱線の威力を実感しました。
午後は、日本生活協同組合連合会主催の「虹のひろば」に参加しました。
オープニングは長崎大学よさこい部「突風」による勇壮なよさこい踊りで開始。
「核兵器廃絶に向けて私たちにできること」長崎大学核兵器廃絶研究センター准教授・中村桂子氏の講演、被爆者代表の方から、次世代を担う若者の代表「高校生一万人署名活動」実行委員会、高校生平和大使へのリレートークなどが行われました。また、長崎市の田上富久市長からのあいさつもありました。
今年は全国の生協から約600人の参加があり、平和への思いを一つにしました。
最終日は、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を見学した後、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列しました。会場の中に入ることはできず、ゲートの外での参列となりましたが、長崎の鐘が響く中、原爆犠牲者の冥福を祈り、黙祷を捧げました。
現在、被爆の体験をされた方々の平均年齢が79歳になっているそうです。「あと10年したら、直接被爆体験を話せる人がいなくなってしまう。本当に次世代の人たちに伝わっているかが心配だ」とある証言者の方は話していました。
平和代表団として、しっかりとその思いを受け止め「私たちにできること」として自分の家族や友人に今回長崎で見聞きしたことを伝えていくことが大切と感じました。
2014年度東都生協親子ヒロシマ平和代表団 報告
核兵器廃絶の実現と、平和の尊さについて認識を深め、次世代に継承していくことの大切さを実感しました。
原爆ドーム |
組合員がみんなで折った千羽鶴を献納 |
被爆者の体験を聴き、交流 |
原爆死没者慰霊碑、原爆遺構見学。 |
平和の尊さについて認識を深めた |
「ピースアクションinヒロシマ・ナガサキ」は被爆体験を継承し、核兵器のない世界への思いの共有する場として日本生協連と広島県生協連・長崎県生協連が1978年から毎年開催している生協独自の平和集会。東都生協は同年より広島・長崎に代表団を送る取り組みを続けています。
5日はまず、日本生活協同組合連合会主催「虹のひろば」に参加。
被爆者、そして次世代を担う若者たちが平和への思いを発信するリレーメッセージなどを観覧し、全国の生協組合員と平和活動の交流を行いました。
原爆ドームなどを見学した後、組合員の方々から寄せられた千羽鶴を、平和記念公園内「原爆の子の像」の折り鶴ブースに献納しました。
夜には、東京の生協の仲間と共に被爆者の方との交流会に参加し被爆体験をお聞きしました。被爆体験を継承していくことの大切さをあらためて感じました。
6日は、平和記念公園で開催された広島市主催「広島平和記念式典」に参列し、全ての原爆死没者の冥福と核兵器廃絶を祈り黙祷を行いました。
続いて、日本生活協同組合連合会主催プログラム「大学生ガイドによる碑巡り」に参加。
とても分かりやすい大学生の方のガイドにより、平和記念公園内の主な原爆遺構、原爆死没者慰霊碑を見学しました。
参加した親子は、広島平和記念資料館の見学などを行い、帰途に就きました。
今回の代表団一行は、原爆の実相を学び、あらためて核兵器廃絶を実現させなければならないこと、平和の尊さについて認識を深めました。そのために、次世代に継承していくことの大切さを実感しました。
2014ピースアクション in TOKYO&ピースパレード報告
核兵器の廃絶と戦争のない平和な世界を目指して、みんなで平和な東京を築こう
「語り継ぐ」で朗読をする |
(一社)東友会より東都生協の膝掛け贈呈 |
先頭の街宣車より渡貫理事がマイクで |
ピースパレードの様子 |
当日は7生協と2団体から244人の参加があり、東都生協からは組合員・役職員など23人が参加しました。
オーボエ演奏によるオープニング・コンサートからはじまり、「みんなで築く平和な東京」を語り継ぐでは、東都生協を含め3生協が朗読を行いました。
参加団体リレートークでは大学生協から「自分たちは戦争体験を直接聞くことができる最後の世代」「大学で学ぶためには平和でなければいけない」と、平和への願いを込めた活動が報告されました。
(一社)東友会からは、東都生協から同団体への膝掛け贈呈について紹介しました。55周年事業として被爆者と被爆二世の実態調査を行っていることが報告されました。
広島市長・長崎市長からもメッセージをいただき、核兵器廃絶への決意を新たにしました。
その後、神宮通り公園までピースパレードを行いました。昨年は雨天のためパレードは中止となりましたが、今年は晴天に恵まれ沿道の人たちに「花の種」を配りながら平和をアピールしました。
日本生協連・沖縄県生協連主催「第31回沖縄戦跡・基地巡り」に東都生協が参加
住民を巻き込んだ地上戦の歴史と日本中の米軍専用施設の約75%が集中する沖縄の現状を学びました
![]() 広々とした米軍嘉手納基地 |
![]() 「真の民主主義を沖縄から」 |
![]() 在日アメリカ海兵隊 |
![]() ひめゆりの塔 |
![]() 沖縄の現状を知り |
初日の全体会では、1944年当時9歳で疎開のために「対馬丸」に乗船し、アメリカ潜水艦の魚雷を受け、6日間の漂流の後、奄美大島の無人島に流れ着き、一命をとりとめた平良啓子さんの「沖縄戦の体験を聞く~対馬丸事件~」と、平良宗潤さんの「沖縄戦の実相と現在の沖縄における諸問題について」の講演がありました。
その後、夕食懇親会では、沖縄の歌や踊りなど沖縄文化と伝統を楽しみながら、全国から参加された生協の組合員と交流を行いました。
2日目・3日目は、「普天間基地」「沖縄県立平和祈念館」「糸数壕(アブチラガマ)」「平和の礎」「魂魄の塔」などを見学しました。
3日間という短期間でしたが、新聞やテレビでは見ることのできない、沖縄の現在の姿を見聞きすることができたと思います。
参加者からは、「普天間基地では、金網越しに基地を見て、広々した基地とひしめく沖縄の人々の家を複雑な思いで見た」
「基地問題は難しい問題で、私にとってはスタートラインに立ったばかり」
「沖縄の現状や真実の姿を学んでいくことが大事だと痛感した」
――などの感想が寄せられ、一人一人が沖縄の現実や平和について考える3日間の旅となりました。
2014年「お花見平和のつどい」に参加しました
2014年は第五福竜丸事件から60年、世界平和と核兵器廃絶への願い新たに
今年で被ばくから60年目を迎えた |
組合員が制作した折鶴タペストリー |
東都生協は数種類のお花見団子を販売 |
この集いは世界の平和と核兵器廃絶を願い、2001年から東日本大震災のあった2011年を除く毎年、夢の島公園の第五福竜丸展示館前広場で開催されています。2014年は第五福竜丸の被ばくから60年を迎えます。
東都生協からは組合員が心を込めて折った2万羽にも及ぶ折鶴で制作したタペストリーを参加した組合員が実際にその場で手に掲げ活動の報告をしました。
一羽一羽、平和への願いを込めて折られた折鶴タペストリーに会場からは大きな拍手が送られました。
その後、会場を第五福竜丸展示館内から屋外へ移しミニコンサートやピースメッセージカードの紹介、そして参加者へのインタビューの時間も設けられました。
今年も東都生協では参加者に向けて取扱商品から数種類のお花見団子を販売。好評のうちに完売となりました。
穏やかな春の休日に平和の尊さを知り、世界の平和と核兵器廃絶への願いを新たにした貴重な日となりました。