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2018ピースアクションinヒロシマに参加しました。(8月4日~6日)
今年のテーマは「ヒロシマの心を次世代のあなたへ ~知って、感じて、動きだそう~」
2018年8月4日から6日、被爆地での被爆の実相を学び、親子で平和の尊さについて考える契機とすることを目的に、組合員7人と事務局2人の9人で2018ピースアクションinヒロシマに参加しました。
1日目は、「入市被爆の新聞記者が伝えたかった被爆の実相」として、入市(にゅうし)被爆者の浅野温生さんからご自身の体験と、中国新聞記者として多くの被爆者の苦悩を取材したお話をお聴きし、被爆者のさまざまな苦悩を知って平和の大切さを学んだ後、平和記念公園内にある「原爆の子の像」へ、平和の思いを込めて折り鶴を捧げました。
2日目は、「碑めぐりガイドの会」のガイドさんの下、平和記念資料館から袋町小学校(平和資料館)までフィールドワークを行いました。
袋町小学校校舎は、1937年、当時としてはとても近代的な鉄筋コンクリートの建物として完成しましたが、1945年8月6日に被爆。
原爆のすさまじい爆風と高熱により、外郭のみを残し廃墟となりました。数日後には、被爆者の避難場所・救護所となり、児童や教職員、地域住民などの安否を尋ねる場所となりました。
1946年に学校が再開し、補修工事を繰り返しながら校舎が使われてきました。老朽化から2000年に解体工事が行われた際、しっくいや黒板の下から被爆者などの消息を伝える「伝言」が発見され、2002年に平和資料館となりました。
碑巡りのフィールドワークの後は日本生協連主催の「虹のひろば」に参加。
ステージでは被爆ピアノによる演奏、被爆の証言・伝承、展示コーナーでは全国の生協から平和・国際交流活動の紹介など多くの企画があり、次世代への被爆・戦争体験の継承を進めながら、取り組みの輪を全国へ広げることを確認しました。
また、東京都生協連主催のピースアクションinヒロシマにも参加。「広島医療生協原爆被害者の会」の綿崎直子さん、植松由紀子さんの被爆証言を伺い、各生協の取組みや感想を報告しました。
3日目は平和祈念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式)に参加。
式典会場は朝から強い日差しが照り付け、「平和の鐘」が響き渡る中、式典に参加した多くの方々と共に、核兵器廃絶と恒久平和の実現を祈り、黙祷しました。
式典終了後には原爆慰霊碑に献花し、式典に参加した多くの人々と共に核なき平和な世界を願いました。
参加者の感想より
- 貴重な体験の連続でした。被爆者が年々少なくなる中で、毎年行われているこの企画は大変貴
重なものでした - 平和について考える機会を与えてもらい学習できました。周りの人や家族に伝えていきたい
- 原爆の恐ろしさ、悲惨さを身をもって感じた。被爆者の方の前向きな姿勢にとても勇気づけられました
Peace Wave 2018 in TOKYOたなばたアクションに参加しました
核兵器のない世界を目指して
参加者は、駅前で核兵器廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」への協力を呼び掛けました。その場で作った折り鶴や願いを書いた短冊を笹竹に結んでもらいました。
26人の被爆者をはじめ多くの団体から126人が参加し、午後4時から90分の活動で、360筆の署名と11,400円の募金が集まりました。
さんぼんすぎセンター るんるんズカフェで子ども食堂開催
「多世代型」こども食堂「ころころ食堂☆高井戸」の取り組みがスタート!
2018年4月28日、さんぼんすぎセンターにて「ころころ食堂☆高井戸」がオープニング食事会を開催。子ども・おとな・スタッフ合わせて48人の参加があり、にぎやかなひとときを過ごしました。
ころころ食堂は、昨年の2017年5月31日に東都生協が開催した「子どもの貧困問題学習会」に参加された方からの声掛けにより、その場で賛同した参加者がメンバーとして集まり結成されました。
メンバーで話し合いを重ね、
①母と子どもがつながる地域の居場所づくりの推進
②子ども食堂を通して、子どもたちの食育に貢献
③子どもは地域の宝、子どもたちの笑顔をつくることは未来をつくること、地域の支え合いで子どもたちを育てる
――を主な目的として、2017年8月23日に「ころころ食堂☆烏山」としてスタートしました(毎月第1・3水曜日 午後3時ごろ~午後7時ごろ開催)。
ころころ食堂代表の西塚さんは、東都生協の活動拠点であるさんぼんすぎセンターで開催している「るんるんズカフェ(※)」のボランティアスタッフでもあります。
「るんるんズカフェ」という場を子ども食堂として活用したいという思いが実現し、今回「ころころ食堂☆高井戸」としてオープンしました。
コンセプトは"手作りの料理をみんなで食べる、0歳児から高齢者の方々が集い懇談もできる「多世代型」の子ども食堂"です。こちらは、5月から本格的にスタートしています(毎月第4土曜日 正午~午後2時 開催)。


【当日のメニュー】
①かんたんピザ ②おにぎり ③シーフードサラダ ④照り焼きチキン
⑤お菓子な目玉焼き(牛乳寒天と黄桃のデザート) ⑥豚汁 ⑦果物



※るんるんズカフェ:東都生協の集会施設「さんぼんすぎセンター」が会場。誰でも気軽に立ち寄れるカフェ、居場所として2016年11月から運営。お茶を飲んだり、おしゃべりしたり、手芸を楽しんだりと、参加者同士が交流できるカフェや健康体操(毎月1回)など月曜日の午後に開催しています。
⇉ 2018年6月の「ころころ食堂☆高井戸」は23日(土)正午~午後2時で行います。
<お申し込み・お問い合わせ>
ころころ食堂(代表 西塚美津子)
電話番号:03-3305-3887
メールアドレス:corocorosyokudou@nifty.com
第35回沖縄戦跡・基地巡り報告
~沖縄、そして日本の平和を考える~
東都生協の参加者 |
嘉数高台(かかずたかだい) |
糸数壕(あぶちらがま)入り口 |
沖縄県平和祈念資料館 |
平和の礎(いしじ) |
1日目の全体会では「沖縄の歴史・沖縄戦・沖縄の基地」と題して、元コープおきなわの横田眞理子さんが講演し、DVD上映「海よ、いのちよ」を視聴。
続いて「沖縄戦の体験を聞く~対馬丸事件~」と題し、米国潜水艦の魚雷により沈没した学童疎開船「対馬丸」の生存者、平良啓子さんの講演を聞きました。
夕食懇親会では沖縄の伝統的な演奏や踊りを見ながら、全国の生協の組合員、職員と交流を行いました。
2日目からは、3つのコース「基本コース」「親子コース」「辺野古・高江コース」に分かれて沖縄の戦跡や米軍基地などを見学しました。
【嘉数高台(かかずたかだい)】
嘉数高台は首里の軍司令部を守るため、その一帯に第一防衛線として陣地を構えました。そのため沖縄戦でもっとも激しい戦闘が行われた場所です。普天間米軍基地が一望できます。
【糸数壕(あぶちらがま)】
もともとは糸数集落の避難指定壕でしたが、戦場が南下するにつれて南風陸軍病院の分室となりました。軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属されました。
【沖縄県平和祈念資料館・平和の礎(いしじ)】
資料館は「平和の礎」と一体となって、恒久平和の実現を願って平和祈念公園に建設されました。礎には、国籍や軍人、非軍人を問わず沖縄戦で亡くなった人々の名が刻まれ、今も刻銘が続いています。
参加者からは、「テレビニュースなど報道も見ていたが、東京とは温度差がすごくあると感じた」「戦争のない平和な世界になってほしいとつくづく思った」「事前に学習をして参加をしたが、やはり現地での情報は大変貴重なものが多く勉強になった」などの声がありました。
それぞれの思いを沖縄から持ち帰り、現在の沖縄の問題や、これからの平和をめぐる課題について考える機会となった旅となりました。
(農)房総食料センターで、かぶの収穫体験、若手生産者との交流を行いました
第6地域委員会主催「(農)房総食料センター」交流訪問企画の報告
かぶは昼食時ステーキや煮物に |
かぶの花 |
房総の野菜を利用するゾ! |
かぶの収穫体験では山崎さんの育てたかぶを収穫しました。山崎さんの元で農業研修をしていらっしゃる方2人もいらして、かぶの生育や収穫までの流れを教えてくださいました。
中でも、私たちが食べている白い部分は根っこではなく"茎"であるというお話に一同驚きました。
昼食は産地の野菜を使ったかぶのステーキや、煮物など、心のこもった手料理でお腹いっぱいに!
昼食後の若手生産者との交流では、青年部部長の田山さんも加わり、若手「房総SUNS」生産者の話、農業の現状やこだわり、苦労話など幅広いお話を伺うことができました。
今回の(農)房総食料センター交流訪問は昨年2017年10月に行う予定でしたが、台風による被害が大きかったため中止となり、再企画したものです。
暴風雨による被害だけでなく、海が近いことから、同産地は深刻な塩害に見舞われたそうです。そして今年の冬は寒さが厳しく、台風を生き延びた作物も寒さでやられてしまったことなど、気候が及ぼす農業への影響の大きさを学びました。
生産者からは「野菜は値段の変動が大きい食材で、市場価格の変動による売上高の増減が激しい」「若い人が安心して農業を続けられるために安定した利用を!」とのお話がありました。
参加した組合員からは、「これからは値段に振り回されることなく、作り手のこめた思いも私たちは買っているんだと思いながら利用していきたいと思いました」との声が寄せられました。
学習会「日本の畜産・酪農業の現状と東都生協の産直」を開催しました
組合員と生産者が共に環境の変化や課題に向き合い、産直の在り方を考えました
講師として千葉北部酪農農業協同組合の小野 功さん、信川 幸之助さん、東都生協の小俣徹職員が登壇。当日は組合員など29人が参加しました。
TPPや日米貿易交渉(FTA)など際限のない貿易自由化と輸入食品の安全基準の緩和、国内食料生産基盤の弱体化など、日本の畜産・酪農業はさまざまな問題や課題を抱えています。
開会の学習会は、組合員と生産者が互いに、それぞれを取り巻く環境の変化や課題に向き合い、東都生協の産直の事業と運動に理解を深める機会として開催しました。
千葉北部酪農農業協同組合・小野さんのお話
はじめに、千葉北部酪農農業協同組合・小野さんが報告しました。以下は報告要旨です。
TPP加盟による影響試算は、牛肉は格付け4~5等級の国内ブランドは残り、3等級以下は一部を除き輸入牛肉に置き換わる見込みです。輸入牛と競合する乳用種などが、特に影響を受けることが考えられます(用途・特色のある牛肉を除く)。
乳製品は、鮮度が重視される生クリームなどを除き、外国産に置き換わってしまう公算が大きく、飲用乳についても加工から漏れた北海道に置き換わり、都府県の飲用乳は大きな打撃を受ける可能性があります。
千葉北部酪農農業協同組合の戸数および牛乳生産量は、生産者の移籍などに伴い減少してきました。また、妊娠牛の異常高騰など生産費が生産費を圧迫し、搾乳牛の減少にもつながり、乳量も減少していく構造が長らく続いています。
割合は異なりますが、これは全国的に見られる現象であるとともに、メガファームの台頭が酪農現場を席巻しています。大型化、一極化(北海道)の動きが見られるのが近年の酪農業の傾向です。
日本国内の肉牛飼養頭数は2010年を境に、大型牧場の牛部門撤退(廃業)に伴って減少傾向にあります。さらには2010年の九州での口蹄疫発生、2011年の東日本大震災と列島を災害が襲い、仔牛の一大産地が崩壊し、全国的な仔牛不足につながりました。畜産業でも畜産クラスター事業(※)による大型化が進んでいることは酪農業と同じ現状です。
※畜産クラスター事業:畜産農家をはじめ、地域の関係事業者が連携・結集し、地域ぐるみで高収益型の畜産を実現するための体制づくりのために、国(農林水産省)が補助金を交付する事業
今日さまざまな要因(経済的要因・天災)が生産状況を圧迫し、負のスパイラルへ落ち込んでいく構造になっています。
国内の畜産・酪農業を未来につないでいくためには、生産者と消費者の相互理解に基づく消費行動が重要です。安全・安心でおいしい牛乳・牛肉を次世代に継承するためには、いま国産農畜産物の消費拡大を進めることが必要です。行動につながってこそ、命を次につなぐことができます。
千葉北部酪農農業協同組合は、「八千代牛」「八千代牛乳」を通じて、東都生協組合員の皆さまと共に、国産農畜産物の担うものを未来につないでいける産地になっていきます。
次世代を担う生産者のお話(千葉北部酪農農業協同組合「八千代黒牛」生産者)
先代の後を継ぎ、今の肉牛生産を行う次世代は、「継続して生産していけるのか」「将来生計を立てていけるのか」など、非常に大きな不安を抱えています。いま私たちの目の前にある"大きな不安"を"大きな希望"に変えていくためにも、組合員の皆さまの"消費行動"という応援を、よろしくお願い申し上げます。
次世代を担う生産者のお話(千葉北部酪農農業協同組合「八千代牛」生産者)
今日までに肉牛生産はBSEや口蹄疫、そして震災に伴う放射性物質による汚染など、廃業と隣り合わせの状況を乗り越えてきました。それは私たちが育てた牛を"おいしい"といって食べていただける東都生協の皆さまがいてくださるからです。
現在は、生産した牛肉を皆さまにお届けすることが難しくなるまでに、仔牛の減少、そして飼料穀物の高騰が長く続いています。皆さまの"おいしい"の後押しを励みに、多くの次世代が頑張っています。私たちは今までと変わらないおいしい牛肉を生産していきます。
続いて東都生協・小俣職員が、独自の有機質資材「米の精」と畜産・酪農との関わりについて報告。
「米の精」は、おいしさと栄養を両立させた産直米「金芽米(BG無洗米)」などの精米過程でできる肌ぬかを再利用した有機質資材です。今まで廃棄されていたこの栄養豊富な「米の精」を、産直青果物の肥料や畜産飼料に活用することで、おいしさと環境保全を両立したブランドとしています。
※米の精:「米の精」は、地球環境の保全と循環型農業を目指す取り組み。産直米「金芽米」などを製造するBG無洗米機は東洋ライス㈱が開発。研ぎ汁の素になる肌ぬかの粘性を利用し、でんぷん層(白米部分)とぬか層の境目にある亜糊粉層(あこふんそう:栄養とうま味成分が豊富)を傷めずに肌ぬかだけを除去します。米の精は、①研ぎ汁による水質汚染を防止し、汚水処理場の電力消費(CO₂)を削減できる ②コメの健康成分の流失と劣化を防ぐ ③コメの食味の劣化を防ぐ ④環境に有害な研ぎ汁を有効資源として活用する ――機能を備えています。
環境保全、循環型農業の実現を目指す考えに賛同いただいた産直産地では、以下の東都生協商品で「米の精」を配合した飼料の給餌が始まっています。
参加者から生産者への質問も受けながら、交流と「八千代牛乳」の試飲や「八千代牛」の試食を行い、東都生協のこだわりや魅力、商品の良さを実感できた学習会となりました。
<参加者の声>
- 今まで日本の畜産・酪農についてあまり考えたことがなかったので良い機会となりました
- 産地が置かれている現状は厳しいものがありますが、これまで築き上げてきた酪農業の伝統を断たれないように消費者の理解も深めながら頑張っていただきたい
- 畜産・酪農の現状がこれほど厳しくなるとは考えていなかった。私たち組合員が今後、今までのように安全で安心な商品を手に入れられるか不安に思う。試食の肉がとてもおいしかった。牛肉を利用することは最近少なくなってきたので、今後はぜひ注文したい
学習会「日本の水産業の現状と東都生協の産直」を開催しました
日本の漁業の現状を学び、生産者と一緒に産直の在り方を考えました
講師の武田裕貴氏(北海道ぎょれん)
試食の鮭・いくらごはん
日本の農水産業はさまざまな課題を抱えています。組合員と生産者が互いの環境変化や課題に向き合い、東都生協の産直の事業と運動への理解を深めることを目的に、今年度はシリーズで学習会を開催してきました。今回は水産業の現状について学びました。
北海道漁業協同組合連合会・武田さんのお話
北海道漁業協同組合連合会の武田さんは、始めに世界の水産物消費の動向を説明。日本全国の漁業生産の推移としては、6年続けて海面漁業・養殖業の生産量が500万トンに届かず大幅減となる中で、浜値の上昇により生産額としては微減となっていることを報告しました。
続いてホタテ、サケ、昆布など北海道の魚種別の生産量と単価の推移を示し、水揚高が減少傾向にあることを解説。北海道での漁業の課題として、全道的な水揚げ減少、国内消費の低迷、漁業者の高齢化や後継者不足を挙げました。
これらの課題に対する取り組みとして武田さんは、魚種ごとの漁獲可能数量の設定、大きさの基準、育てる漁業の推進など、将来へ向けた水産資源の保護や、全年代に向けた食育、魚食の普及活動の実施などの産地の取り組みを紹介しました。
東都生協での水産品の利用動向
東都生協商品部の藤田職員からは、食生活の変化などに伴う水産品の利用離れによる支出額・購入額の減少など、消費の現場を巡る状況を報告。
「枝幸(えさし)魚つきの森(※)」商品の利用普及や、地域や県などにこだわった商品配置と品ぞろえの充実、季節や旬を意識した商品の企画増、利用しやすい商品提案、茶話会や学習会開催など、水産品の消費拡大に向けた取り組みを紹介しました。
講演の後は、参加者から質問も受けながら交流と試食を行い、東都生協のこだわり・魅力・商品の良さを実感する学習会となりました。
※枝幸魚つきの森:
東都生協が北海道漁業協同組合連合会・枝幸(えさし)漁協と協同で取り組む活動。山林への植樹活動や鮭の稚魚・ほたての稚貝の放流、交流活動に取り組んでいます。消費者と生産者が一緒に地球環境と生命の源である川と海を守り、漁場・資源管理型漁業により生産される水産物を利用し、豊かな食生活を推進することを目的としています。
<参加者の声>
- グラフが多く視覚的も分かりやすかった。水産の現状が理解できた。
- 水産業の漁獲量がここまで減っているとは思いませんでした。
- 広い意味では世界規模で海水温の上昇のことなど考え実行していかないと、先細り傾向は止められないと実感した。
- サケ、サンマの不良をニュースで聞いていたが、その理由を詳しく知り、理解することができた。
<今回の試食品紹介>
①「東都北海道枝幸産いくら醤油漬」
北海道の枝幸沿岸で9月から11月に漁獲される秋鮭の卵を漁獲後直ちに枝幸漁協にて採卵し、生から漬け込んでいます
②「東都北海道枝幸産ほたて貝柱」
約4年の歳月を自然状態で生育した「地まきほたて貝」。枝幸産のホタテは甘みが強く、肉質も良いといわれています。水揚げされたその日のうちに急速冷凍され製品化されます
③「東都北海道枝幸産秋鮭切身(甘口)」
北海道枝幸前浜で漁獲された銀毛の秋鮭を使用。一次加工は枝幸漁協直営工場で行っているため原魚搬入までに時間がかからず、高鮮度のまま加工しています。塩分2%
東日本大震災被災地、福島県を視察しました
福島の被災地現状を知り、これからを考える取り組み報告
コープふくしまの宍戸常務(右)、宮澤理事(左)
放射能測定器、地域によって値は変化した
除染された土などの仮置き場
請戸小学校跡地、周りは一面の草地となっていた
金属の柵が各戸敷地入り口に設定されていた地域も
道路沿いの線量計
体育館などの避難所での生活を再現した展示(いわき・ら・ら ミュウ)
除染や瓦礫を入れるフレコン。右が菅野 原発災害情報センター長
原発事故をに絶望し自死された酪農家のベニヤに書いた遺書
1日目(3月15日)
朝8時池袋をバスで出発後、12時にコープふくしまの方木田店で、常務理事の宍戸義広さん、組合員理事の宮澤恵美子さんと落ち合いました。
車内で、宍戸常務より、コープふくしまの取り組み紹介などがあり、線量測定器が2台、組合員に渡されました。
コープふくしまでは震災後より毎年「普段の組合員の食事の放射線量を測る活動」をしており、年1回100人の組合員に、実際に食べている食事2日分を提供してもらい、それを日本生協連・分析センターで計測して結果を公開しているとのことでした。これは、震災直後から行い、今年で6回目となるそうです。
宍戸常務の説明を聞きながら飯舘村を視察しました。沿道には、除染された土やがれきを入れた容器をシートで覆った仮置き場が各所にありました。
飯舘村は、福島第1原発よりある程度離れた地域で、後になり放射線量が高いと分かり避難地域となった地域。
移動中の車中で見た飯舘村の元酪農家の奥さんの証言DVDの中では「当初避難民に、野菜やしいたけ、牛乳、食料などを提供した。知らずに汚染量の高い食料を提供することとなり、住民はその後批難もされ、後悔もしている。これは『天災』ではなく『核災』である」と話していました。参加者は見ていてやるせない気持ちに覆われました。
飯舘村に新しくできた道の駅「までい(=福島弁で丁寧の意味)」は他の道の駅に比べ、地元農産物が極端に少しか販売されていませんでした。栽培している人や面積が少ないためとのことでした。
その後、浪江町駅⇒浪江町請戸(うけど)地区周辺⇒双葉町⇒富岡町駅⇒富岡町子安橋を視察。
JR常磐線の「浪江町駅」~いわき方面の「富岡駅」間のみ未だに不通。代行バスが走っていました。
浪江町請戸地区は、津波で大被害を受けた地区で、小学校の校舎が残っていましたが、1階は全て破壊されたとのことでした。参加者に学校裏手に祖父母の家があった方がいて「震災前は周辺には人家や農地がたくさんあったが全て無くなってしまった」と話していました。
震災当時原発事故のため、救援隊が数日入ら、助かる命も助からなかった可能性もあったようです。
双葉町、大熊町はほぼ全域が帰還困難地区、道路沿いの各敷地の入り口に金属の柵が設置されて入れない人家が並ぶ地域もありました。
富岡町子安橋周辺で下車(これより立ち入り禁止地区の手前)し、東京電力・福島第2原発を遠くに見ながら原発の説明を聞きました。大きな被害をもたらした原発、更に廃炉の見通しも十分できたていない原発、政府や電力会社により再稼働が推し進められている現状に大いなる疑問を感じずにはいられません。
2日目(3月16日)
車中で理事の宮澤さんから、いわき市の震災時の様子や、当時体験したことなどについてお話がありました。
道路に多くの救援の自衛隊車両が行き来していたこと、ガソリンがなく半日以上車中で待機したこと。また、震災前夜たまたま抜かないでおいた風呂の水が、トイレの水などに役立ったが、その後逆に入浴後の水を抜かないと地震を思い出すようになり、それがトラウマになっていると語ります。
塩屋崎灯台で有名な薄磯地区災害地を訪問。海辺にも関わらず高台で津波の被害を唯一逃れた「山六観光(お土産屋さん)代表の鈴木一好さんが、被災後4日間にわたり撮り続けた写真を基に、当時の様子や、その後の復興の様子などについてお話しいただきました。
「この地域は昔からの言い伝えで『大きな津波は来ない』といわれており、逃げる人がいなかった。津波後は陸の孤島となり、3日間救援が来なかった。4日目に自衛隊が来たが、福島第1原発の水蒸気爆発が起き、すぐ撤退してしまった。200数十世帯中10数世帯しか残らなかった。生き残った者の責務として、多くのご遺体の確認をしたが、泥まみれで更に、渦巻き状の津波に遭っため、男女の区別すらつかなかった」
「震災後、原発のために復興が遅れた。住民間でも補償などで津波被災者と原発避難者などの対立があり、こういったところにも傷跡が残る」と鈴木さんは語ります。
「いわき・ら・ら・ミュウ(お土産、飲食施設)」ここも、震災当時被災した施設。2階では、震災資料展示や映像の公開などが行われていました。
原発災害情報センター(白河市)視察。センター代表の菅野さんは「センターの木造の建物は150年間耐えることを念頭に建てた。150年とは、セシウム137が10分の1になるに要する期間だ。除染土などは1トン入りのフレコンバッグ(フレキシブルコンテナバッグ)に入れられ、各地に仮置きされているが、フレコンバッグの耐久年数は3年ほど。自然破損や、今後移動時に破損する懸念がある」と説明していました。
今回の視察は、福島第1原発事故が被災時救援を妨げ、その後の復興を遅らせたことや、住民同士の分断の一因となっているなど、同じ被災地の岩手県や,宮城県などと比べても大きな負の遺産となっていることを学ぶ機会となりました。
■参加者の感想(抜粋)
- コープふくしまの方は、震災に対する取り組みを情熱を持って行っている。周りの方に伝えたい
- 酪農家の奥さんの証言DVDを観て、知らずに避難者に牛乳や野菜を提供してしまったことを知りショックでした。周りの方に伝えることが参加した者としても任務と思う
- 原発の脅威を現地を見て更に感じた。私たちの原発を無くす行動が大切だ
- 岩手、宮城に比べても復興が遅れている。原発事故の陰が地域の分断につながっている
- 今でも原発のことを政府や、東京電力は国民に知らせていないと感じた
学習会「SDGsの達成に向けて生協ができること 誰一人取り残さない」を開催
SDGs学習会報告
SDGsのロゴ |
講師の新良貴泰夫さん |
会場の様子 |
SDGs(エスディージーズ:持続可能な開発目標)は、異常気象、貧困問題、エネルギー、気候変動など、世界が抱える問題を解決し、持続可能な社会をつくるために世界各国が合意した17の目標と169のターゲットです。
SDGsの前身となるMDGs(エムディージーズ:ミレニアム開発目標)を継承し、2015年9月の国連で採択されました。地球上の誰一人として取り残さないという壮大な理想を掲げています。
学習会では、「SDGsの達成に向けて生協ができること 誰一人取り残さない」と題して、持続可能でない世界の状況やSDGsの概要を学び、私たち生協や消費者にどのようなことができるかを考える場となりました。
講演では、地球はさまざまな問題を抱え、持続可能でなくなっていることや、SDGsの成り立ち、SDGsを巡る世の中の動きについて説明。
SDGsの17目標が協同組合の理念と重なること、SDGsにおける協同組合への期待など、ポイントを絞って分かりやすく説明いただきました。
さらに新良貴さんは「生協が具体的な目標を検討・策定していく際には、将来の在るべき姿を想定し、未来から現在を振り返って考えるバックキャスティングの手法を用いることが大切」としました。
今回の学習会を通じて、SDGsの目標を実現するためには、一人ひとりが「自分事」と捉えて取り組むことが不可欠なこと、日常のくらしや行動を少し変えるだけでもSDGs達成につながることを学びました。
参加者からは、
「人が地球で生きていく上で極めて当たり前のことだと思います。このことを全ての人々が理解すべきと思います」
「SDGsについては、名称しか知らなかったので、その中身を知りたくて参加しました。講師の方の説明が分かりやすく理解しやすかった」
「個人として何をすべきか、周りにどう伝えていくべきか考えさせられました」
「今回の学習会の続き、もしくはグループトークなどを企画して自分たちのSDGsを感じる学習会を企画していただければと思います」「成立までの経緯、世界・日本でどのように受け止め履行されているのかがよく分かりました」
などの意見が寄せられました。
商品部の担当職員から聞く「パン作り」にまつわる話
パンは何枚切りが良い?

多くの種類のパンを試食しました

パン論議が弾みました
2018年12月22日、府中南ブロック委員会は、商品活動エントリー企画「商品丸わかり」をさんぼんすぎセンターで開催しました。
今回のテーマはパン。「北海道産小麦食パン」「国産小麦食パン」「サラのまるパン(紅茶・オレンジ・トマトバジル・全粒粉)」を試食しました。
「パンを焼くのは夜中で早朝に出荷」という厳しい仕事の様子、以前はお試し規格があったが今はない理由、異なるパンを同時に焼き上げ袋詰めする難しさ、バターよりマーガリン・ショートニングといわれていた時代の話など、菓子・パン部門の職員から直接聞くことができました。
また、現在の多様化したライフスタイルでは食パンは何枚切りが良いのかなど、いろいろと話が弾みました。
同ブロック委員からは「今回知り得た知識を、今後の企画につなげていきたい」との声が聞かれました。