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環境
「福島で起こった原発事故を考える」学習会を開催

福島第一原子力発電所事故に見る「犠牲の構造」

この国の「犠牲のシステム」は、丸山眞男氏の言う「無責任の体系」を含んで存立する、と語る高橋哲哉氏

「この国の犠牲のシステムは、丸山眞男氏の言う
『無責任の体系』を含んで存立する」と語る高橋哲哉氏

東都生協(コープ)社会委員会では、3月11日の福島第一原子力発電所事故の実相を探りながら、まだ収束も見えない原子力発電所(以下、原発)をどのように認識していけばいいのか、原発を今後どうしたらいいのか、一人ひとりが考える手がかりの一つとするために、東京大学大学院教授の高橋哲哉氏を講師にお招きし、2011年 11月24日、文京シビックセンターにて原発問題学習会を開催しました。当日は51人の参加者がありました。

高橋氏は、「原発は犠牲の上に成り立っているシステムで、今回の福島第一原発事故でそれがより明確になった」と指摘。

「犠牲のシステム」では、「ある者たち」の利益が、「他の者たち」の生活、生命、健康、日常、財産、尊厳、希望などを犠牲にして生み出され、維持されます。

今回の事故で具体的にみると、
・中央と地方という構造的な差別による犠牲
・原発に関わる労働者の被ばくの犠牲
・ウラン採掘・精製の過程での被ばくの犠牲
・放射性廃棄物処理での犠牲
の4重の犠牲が生じていると解説しました。

また高橋氏は、国家が特定の人たちに犠牲を強いることで利益を得るという犠牲の構造を、歴史的に見る重要性も指摘。戦前の戦争が「神風神話」によって、戦後の原子力発電が「安全神話」によって、それぞれ国策として推進されてきた事実に目を向けます。

戦時中に国体維持のため、また戦後も日米安保のための捨石として、米軍基地を押し付けられてきた沖縄の歴史を振り返るとき、今は福島が捨石とされている、と強調。原発推進論者の論拠の一つに、「潜在的な核抑止力として機能している原発を排除すべきではない」との考えもあることを指摘します。

そして、原発については、推進した人だけでなく、反対したけれども止められなかった人や無関心だった人にも、それぞれにおいて責任を自覚すべきと述べ、最後に、問題は誰が犠牲になるかということではなく、犠牲のシステムそのものをやめることが肝心であると結びました。

参加者からは、「原発が、政治的、経済的な国の思惑から成り立っていることをあらためて考えさせられました。」「事故の場合や処理の方法が分かっていないのに、原発をすすめていることが一番問題と思います。」「沖縄、福島、基地と原発。戦前・戦中と、変わらない日本の体質がよく分かりました。私たち一人ひとりが犠牲を強いていることを認識して、少しずつできることから行動していくことが必要と思いました。」などの感想が寄せられました。

丁寧なお話で、非常に内容が濃く、今回の福島第一原発事故について考える手掛かりをいくつもいただいた学習会となりました。