東日本大震災被災地視察 ~東日本大震災を忘れない~ 視察報告
東日本大震災と福島第1原発事故の被災地、福島県の現状を知り、これからを考える
海岸沿いに見える福島第2原発 |
紙芝居の様子 |
2011年3月11日に発生し、22,000人を超える犠牲者を出した東日本大震災から8年。
今年も「コープふくしま」にご協力いただき、「3・11」の直前となる2019年3月7日・8日の1泊2日で富岡町、大熊町、双葉町、浪江町を訪れました。
今回もコープふくしまの常務理事 宍戸義広さんが被災地のガイドを務めてくださり、移動するバスの中では、同行いただいた震災当時1歳のお子さんを持つコープふくしまの組合員理事さんより震災時のお話がありました。
「放射線の影響を恐れ、公園で思いっきり遊ばせることもできなかった。親として本当に辛く、申し訳ない気持ちでいっぱいになった」と涙を浮かべながら語っていました。
コープふくしまでは、ただ不安をあおるのではなく、放射能についての学習会や、組合員に協力を得ての「陰膳(かげぜん)方式」と呼ばれる食事調査を実施。陰膳調査は、家庭の食事を1人分余分に作り、実際に食べた分量で2日間6食分を保存して検査機関で測定する方法です。
この他にも、医療生協と連携したWBC(ホールボディカウンター)による内部被ばく測定の実施など、放射能について正しく学習し放射能汚染に向き合った活動を行っています。
1日目「被災地を視察」
東日本大震災での福島県の被害は、地震や津波の被害と原発事故による被害です。放射線の高い地域では、8年を経ても「帰宅困難地域」となっていて、汚染土を運ぶトラックと除染を行う作業員の姿しかありません。
民家の玄関は1軒、1軒、柵で覆われています。震災前はにぎやかだったであろう店舗の立ち並ぶ街は、8年前から時計が止まったように当時のままの形を残していました。
8年を経過すると、テレビの報道もめっきり少なくなり、復興は進んでいるように思えますが、実際に現地に行くとまだまだ復興にはほど遠いという印象を受けました。
移動するバスの中で視聴したDVDの中で、当時、農畜産業を営んでいた方が話されていた「原発事故の影響で家も仕事も全て奪われた。今はお金も何もいらない、震災前の普通で当たり前の日常を返してほしい」この言葉が胸に突き刺さりました。
2日目「震災と原発事故の教訓を学ぶ」
全国から寄せられた支援のお返しに、福島県の被災当時の状況を伝え、二度と福島のようなことが起きないように「紙芝居」を持って全国を回っている松田さんと菅野さんの紙芝居を拝見しました。
被災当時の混乱した状況や情報が錯綜(さくそう)している様子や、被災者を救出できなかった、ある消防団の苦悩を描いた2作品でした。お二人とも当時の様子がよみがえったのか、涙をこらえながらお話してくださいました。
福島第1原発事故は「天災」ではなく「人災」です。東都生協はこうした企画を通して、福島の教訓を忘れず、福島の現状を伝え、一人ひとりが何ができるのか考えるきっかけとなればと考えています。