みんなの活動:これまでの活動報告

東日本大震災被災地を視察(福島県)

~被災地の今を知り、これからを考える~ 

2016.12.08

ガイドをしていただいたコープふくしま 宍戸常務

ガイドをしていただいた
コープふくしま 宍戸常務

放射線測定器

放射線測定器

野積みされた汚染土

野積みされた汚染土

除染用に集積された清浄土

除染用に集積された清浄土

今も震災の爪痕が残る浪江町

今も震災の爪痕が残る浪江町

除染などが遅れ開通できない常磐線浪江駅

除染の遅れなどで開通できない
常磐線浪江駅

中央の棟周辺が福島第二原子力発電所

中央の棟周辺が福島第二原子力発電所

塩屋崎灯台から「山六観光」を見下ろす

塩屋崎灯台から「山六観光」を見下ろす

いわき・ら・ら・ミュウの大震災災害展示コーナーには避難所の一部を再現

いわき・ら・ら・ミュウの大震災災害展示
コーナーには避難所の一部を再現

原発災害情報センターでは酪農家が小屋の壁に書いた遺書も展示

原発災害情報センターでは酪農家が
小屋の壁に書いた遺書も展示

未曾有の東日本大震災から5年が過ぎ、被災地は6度目の冬を迎え、月日とともに震災関連の報道も減少しています。東都生協では、震災を風化させないためにも、支援募金を活用し、組合員が被災地を訪問して交流する取り組みを進めています。

当時の状況と復興の過程、そしてこれからについて、現地で実際に見聞して確かめることで、一人ひとりがあらためて自分たちにできることを考え、行動していけるようにと、地元コープふくしまの協力を得て、今回の東日本大震災被災地視察企画が実現しました。

2016年11月12日の朝8時30分、14組21人の参加者はバスで池袋を出発し、昼に現地近くで引率ガイドをお願いしていたコープふくしまの宍戸常務理事と落ち合い、まずは富岡町夜ノ森へ向かいました。

今も春になれば満開になるという2.5kmの桜並木は、途中から立ち入り禁止の地区に指定され途切れた状態。この地区の「帰還困難地域」と「帰還準備地域」は道路1本を挟んで隔てられています。一方は帰還に向けて地域再生が始まり、一方はバリケードで立ち入り禁止のままという、非情な現実を目の当たりにしました。

3km先に福島第二原子力発電所と新設された減容化施設(※)を臨む、立ち入り禁止のバリケードの前では、「原発いらない」との思いが込み上げてきました。

※減容化施設:津波がれき、被災家屋の解体によって廃棄されたごみ、除染作業に伴い発生した可燃性廃棄物を焼却処理する施設

福島第一原発事故による避難地域「浪江町」に向かう途中、大熊町、双葉町を経由しました。バスの車窓からは、除染された汚染土の山や、1トンもの除染廃棄物を詰めたコンテナパック(トン袋)がいたるところに置かれていました。いまだに移転先が決まらず、いつまで仮置きされるのか不明のままです。

移動中のバス車内では、コープふくしまが用意した放射線測定器8台の数値が上下するたびに、驚きの声や安堵のため息が漏れました。

浪江町請戸周辺では、以前なら見えるはずのない海岸線が見え、そちらに目を向けると被災当時のままの家屋が数戸残されている状況も。そんな海岸付近には、がれきの仕分け場所が作られ、平日には大型ダンプが激しく往来します。

今後、海底のごみを引き上げるとの話を聞き、いまだそんな状況かと驚く参加者も。

浪江町の商店街は震災当時のままで時が止まったかのようです。浪江駅前の新聞配達店には、最近まで震災翌日の新聞がそのまま残されていました。

そうした中、帰還準備の宿泊のために3カ月前からホテルが再開したというニュースに接し、少し明るい気持ちになることができました。

夜には、コープふくしまの組合員理事にも参加いただき、交流。震災時にお子さんと連絡が取れず不安な時間を過ごした当時の様子や、震災後しばらくすると周りの人たちがどんどん自主避難していったときの不安な思いなどを伺いました。

宍戸常務は、コープふくしまの被災後の取り組みを説明。コープふくしまでは震災後、直ちに店舗を復旧させ、地域や組合員の皆さんへの支援を開始しました。放射能に関する学習会を開催したり、実際に食事に含まれる放射性物質量の測定を行うなど広く県民に情報提供を進めています。また、今回のような全国の生協の被災地視察交流会や報告学習会を280回以上行っていることが報告されました。

2日目の13日は、塩屋崎灯台の下にある「山六観光(お土産・食事処)」を訪問。この地域は200世帯以上が津波に流され、残ったのは数世帯のみとのことでした。

社長の鈴木一好さんからは「ここは津波が来ない」といった間違った言い伝えがあり、避難しない方が多かったこと、情報が入らないため原発事故も知らなかったこと、14日の朝、支援に来た自衛隊が30分で撤退していったのは、原発が爆発したことによる撤退だったこと、遺体確認など辛い作業に携わったことなど、貴重なお話を伺いました。

昼食を取った「いわき・ら・ら・ミュウ」は魚市場や、レストラン、お土産のコーナーがある商業施設。2階には「いわきの東日本大震災展 2011.3.11 あの時、何が起き 今、何ができるのかを 考える 忘れたいこと 忘れられないこと 忘れてはいけないこと...」として資料などを展示するコーナーが設置されています(2013年より継続開催中)。

子どもたちの笑顔写真、震災当時のいわきの写真、津波が押し寄せる様子の上映や避難所の再現など、忘れてはいけないこととして胸に刻むことができました。

最後に訪れたのは、「原発災害情報センター」。原発による被害状況の資料を収集、展示している民間の施設です。ここでは被災し事業継続を絶たれた酪農家が、牧場の小屋の壁に書いた遺書が保存されており、原発災害の恐ろしさ、悲惨さが心に迫りました。

参加した組合員からは
「東日本大震災で福島は、地震、津波の他に原発事故が加わり、他の被災地より過酷な現状にあることをあらためて認識した」
「福島の皆さんには全てが過去のことではなく、まだまだ現実のことであり、またこれからのことでもあるのですね」
といった声が寄せられました。

この他にも
「政府や行政が帰還を強行する身勝手さ、これだけの事故を起こし終息の見通しさえ立たぬ状況にもかかわらず、方向転換できない原子力行政に怒りを覚える」といった憤りの声や、
「被災者でもある(コープふくしまの)皆さんが故郷に留まり、被災した店舗を復旧し、放射能学習会、食事調査などを実施し、ただ怖がるだけでなく、さまざまな取り組みを進めていることを知ることができた」というコープふくしまさんへの共感、
「復興はにはまだまだ遠いけれど、50年後、100年後の福島のためにも負けないでください。私は忘れませんし、自分のできることを微力ですが続けていくつもりです」との決意のメッセージが寄せられました。