
身近な地域で平和の大切さを知りました
「第五福竜丸展示館」での市田真理さんによる説明 |
「東京大空襲・戦災資料センター」での二瓶治代さんによる証言 |
今回は、水爆実験の被害を受けたマグロ漁船「第五福竜丸」と、推定10万人もの尊い命が失われた東京大空襲のそれぞれの惨状を知り、実相を学ぶこと、親子で平和について考える機会とすることを目的に、「第五福竜丸展示館」と「東京大空襲・戦災資料センター」をマイクロバスで回りました。当日は、高校生1人、小学生2人を含む16人が参加しました。
「第五福竜丸展示館」では、学芸員の市田真理さんに、1954年3月1日にビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被害を受けた第五福竜丸の展示に至るまでの経緯や、水爆実験による被害、また、福島第一原発事故の放射能被害などについてのお話を伺いました。市田さんは、核実験による影響が50年以上経った今もあることなど、核の脅威について説明されました。その後、館内の展示や展示館前広場の久保山愛吉記念碑、第五福竜丸のエンジンなどを見学しました。
「東京大空襲・戦災資料センター」では、1945年3月10日の東京大空襲に関するアメリカ軍が記録していた映像や当該者のインタビューなどが収められたNHKのVTRを鑑賞した後、学芸員の二瓶治代さんに、8歳で空襲にあわれたご自身の体験談を伺いました。当時の凄まじい状況をお聞きし、犠牲になった命を無駄にしないためにも、2度と同じ過ちを繰り返してはいけないと強く思いました。その後、写真や地図をはじめ、防空頭巾や防毒マスク、溶けたガラス盃、焼夷弾などの展示資料を、説明を受けながら見学しました。
参加者からは、「第五福竜丸展示館の学芸員の方に詳しく説明を聞き、あらためて放射能の恐ろしさを感じ、怖いと思いました。」「東京大空襲・戦災資料センターでのガイドの方のお話はとても衝撃的で、こんな悲惨なことが実際にあったのだと身につまされる思いでした。」「平和を維持することのむずかしさを学べたように思う。」「平和について考えることはいつの時も必要だと思います。こんな近いところで学べるのはとても良いこと。」などの感想がありました。
自分たちが暮らしている身近な地域で、至近なところから平和を考えていくことの大切さを知る企画となりました。
福島第一原子力発電所事故に見る「犠牲の構造」
「この国の犠牲のシステムは、丸山眞男氏の言う |
高橋氏は、「原発は犠牲の上に成り立っているシステムで、今回の福島第一原発事故でそれがより明確になった」と指摘。
「犠牲のシステム」では、「ある者たち」の利益が、「他の者たち」の生活、生命、健康、日常、財産、尊厳、希望などを犠牲にして生み出され、維持されます。
今回の事故で具体的にみると、
・中央と地方という構造的な差別による犠牲
・原発に関わる労働者の被ばくの犠牲
・ウラン採掘・精製の過程での被ばくの犠牲
・放射性廃棄物処理での犠牲
の4重の犠牲が生じていると解説しました。
また高橋氏は、国家が特定の人たちに犠牲を強いることで利益を得るという犠牲の構造を、歴史的に見る重要性も指摘。戦前の戦争が「神風神話」によって、戦後の原子力発電が「安全神話」によって、それぞれ国策として推進されてきた事実に目を向けます。
戦時中に国体維持のため、また戦後も日米安保のための捨石として、米軍基地を押し付けられてきた沖縄の歴史を振り返るとき、今は福島が捨石とされている、と強調。原発推進論者の論拠の一つに、「潜在的な核抑止力として機能している原発を排除すべきではない」との考えもあることを指摘します。
そして、原発については、推進した人だけでなく、反対したけれども止められなかった人や無関心だった人にも、それぞれにおいて責任を自覚すべきと述べ、最後に、問題は誰が犠牲になるかということではなく、犠牲のシステムそのものをやめることが肝心であると結びました。
参加者からは、「原発が、政治的、経済的な国の思惑から成り立っていることをあらためて考えさせられました。」「事故の場合や処理の方法が分かっていないのに、原発をすすめていることが一番問題と思います。」「沖縄、福島、基地と原発。戦前・戦中と、変わらない日本の体質がよく分かりました。私たち一人ひとりが犠牲を強いていることを認識して、少しずつできることから行動していくことが必要と思いました。」などの感想が寄せられました。
丁寧なお話で、非常に内容が濃く、今回の福島第一原発事故について考える手掛かりをいくつもいただいた学習会となりました。
いのちの尊さと平和の大切さを心に共有しました。
冨田沓子さんの講演 |
「Bonds Woodwind Quintet&さのみの」によるピースコンサート |
10月24日(月)、世田谷区の成城ホールにて「Love & Peace音符とあそぼう♪Ⅲ」を開催しました。
世界で起こっている現状に目を向け、国際的な視野で平和を考えることを目的としたこの企画。
3年目の今年は、アムネスティの講演とピースコンサートを行い、当日は106人の参加がありました。
開演は午後1時30分。アムネスティ・インターナショナル国際事務局日本支部成長戦略担当で、地球サミット2012Japan副代表である冨田沓子(とみたとうこ)さんが、「責任ある世界の一員として、私たちにできること」と題した講演を行いました。
すべての人が人間らしく生きることのできる世界を目指し、日本国内での人権活動を活発化させようと奮闘されている冨田さん。パワーポイントやDVDを使用した映像を交えての講演は、ご自身の実際の体験も踏まえたとても分かりやすいお話でした。「一人ひとりが行動することで世界を動かすことができることを多くの人が実感し、責任ある世界の一員として行動してほしいと願っています。」とお話を結ばれました。
休憩を挟み、午後2時25分からは、木管五重奏&サックスデュオ「Bonds Woodwind Quintet&さのみの」によるピースコンサート。多方面で活躍されているメンバーにより、「ダニー・ボーイ」や「リベルタンゴ」など多彩な楽曲が演奏されました。
平和を願いながら奏でられる、木管五重奏の響きを最大限に生かした聴きごたえのある演奏は見事でした。平和な未来のために紡がれた息の合った洗練されたハーモニーに、音楽の素晴らしさ、平和の尊さを再認識しました。
参加者からは、「講演での『貧困・飢餓・人権問題も人の手によってつくられたもの』というお話が印象的でした。私も平和について考え、人と話して心をつなげていき、その姿を見せていきたいです。」「音楽は人々に強く訴える力があります。温たかい音色。感動しました。いろいろ辛いこともあるけれどホッとして、疲れた心が癒されました。」などの感想がありました。
いのちの尊さと平和の大切さを心に共有できるように、世界にある現実を知り考え関心を寄せること、そして一人ひとりが今できることを考え実践していくことの大切さを感じる、素敵な一日となりました。
平和への思いをメッセージに!
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現地を見学し実相を学びました。
れきみちの家での郷土研究班顧問土屋光男先生による説明 |
象山地下壕内での郷土研究班の生徒による説明 |
舞鶴山地下壕・天皇御座所(現気象庁の地震観測所)の見学 |
7月28日、松代大本営地下壕見学会を行い、高校生、中学生、小学生の子ども6人を含む18人が参加しました。
松代大本営地下壕とは、太平洋戦争末期、国家中枢機能移転のために、現在の長野市松代地区の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)に掘られた地下坑道です。
当日は、象山地下壕と舞鶴山地下壕の見学と、れきみちの家(長野俊英高等学校郷土研究班松代大本営等資料展示館)での学習などを行いました。
今回の主な目的は、松代大本営地下壕の現地を見学し実相を学ぶこと、長野俊英高校郷土研究班の皆さんとの交流を通して地元での継承の取り組みを学ぶことの2点。
参加者からは、
「実際に現地を見学して、あらためて戦争の愚かさと平和への想いを強く感じました」
「長野俊英高校・郷土研究班の皆さんにガイドしていただき、歴史から学び受け継いでいくことの大切さを実感しました。」
などの感想が寄せられました。
東都生協 ヒロシマ平和代表団が広島を訪れました。
願いを込めて平和記念公園内平和の鐘をつきました |
ピースアクション in ヒロシマ
東都生協 ヒロシマ平和代表団
2011年 8月5日(金)~ 6日(土)
東都生協では今年も1泊2日の行程で、平和代表団として4人で広島を訪れました。
初日は、日本生活協同組合連合会主催「虹のひろば」に参加。広島平和教育研究所の江種祐司さんの「ヒロシマの心」と題した講演をお聞きし、「決して許すことのできない戦争と原爆、その事実を世界中の人が知り、知った人が世界中に伝えることが核兵器をなくすことにつながると信じ、願い、語り続けます。」いう江種さんの言葉に、被爆体験を継承していくことの重要性をあらためて感じました。
その後、本町小学校平和資料館、原爆ドームなどを見学した後、被爆者の方との交流会に参加し証言をお聞きしました。
翌日は、平和記念公園で開催された広島市主催「広島平和記念式典」に参列し、すべての原爆死没者の冥福と核廃絶を祈り黙祷を行いました。
袋町小学校平和資料館を見学した後、日本生活協同組合連合会主催プログラム「サダコと折り鶴」に参加。「原爆の子の像」で知られる佐々木禎子さんについて、同級生の川野登美子さんに当時のお話をうかがい、スライドでサダコについて学びました。
その後、広島平和記念資料館を見学し、原爆の実相を学び、あらためて恒久平和の実現と平和の尊さについて認識を深めました。
最後に、多くの組合員に取り組んでもらい作成した折り鶴を、平和記念公園内「原爆の子の像」の折り鶴ブースに献納しました。被爆者の方が3月11日の東日本大震災での福島原発事故について異口同音に「残念である」「悔しい」と語っていたことが印象的でした。
福島原発事故を踏まえ、あらためて核の問題を一人ひとりが自分のこととして捕らえ、そのことに対する自己の考えを各自が持たなければならないとの思いを新たにしました。
7名の平和代表団が長崎を訪れました。
城山小学校の遺構を見学 |
ピースアクション in ナガサキ
東都生協 ナガサキ平和代表団
2011年 8月7日(日)~ 9日(火)
8月7日~9日、小学生を含む7名の平和代表団が長崎を訪れました。
7日は、被爆者の方からご自身の体験を直接伺い、その後、長崎原爆資料館を見学。被爆の実相を学びました。
8日は、被爆校舎の残る城山小学校の集会室で朗読を聴いたあと、近辺の被爆遺構を巡るまち歩きに参加。城山小学校出身の被爆者の方によるご案内で、当時の様子をうかがいながら防空壕跡、城山八幡神社、被爆柿の木など慰霊碑や遺構の見学をしました。
9日は、長崎市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参列し、その後、如己堂・永井隆記念館、浦上天主堂などを見学しました。
この地に来たからこそ感じたことがたくさんありました。私たちは核兵器のない平和な未来に向けて今回の見たこと聴いたこと学んだことを周囲に伝えナガサキの思いを共有し、次の世代につなげていきます。
みんなであらためて平和の大切さについて考えました
戦場カメラマン・渡部陽一さんが講演 |
渡部陽一さんの全身を使っての語りかけが聴衆を魅了 |
(社)東友会の中伏幸子さんがヒロシマ被爆を証言 |
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東友会の皆さんに組合員手作りのひざかけを贈呈 |
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千倉水産加工販売㈱・鈴木富春会長から |
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JAやさと・営農流通部の土佐秀美課長から |
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会場ロビーでは東日本大震災の被災産地・メーカーに |
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会場ロビーでは地雷のレプリカなども展示 |
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ロビー展示の原爆パネルに見入る参加者 |
東都生協(コープ)は、第8回目となる「平和のつどい」を開催しました(8月19日、調布市グリーンホール)。「平和のつどい」は、東都生協の平和活動の中で最大のイベント。今年は悪天候にもかかわらず、約500人が参加しました。
今年のつどいは、「東日本大震災に関する報告」、「被爆証言と毎年恒例の編み物の贈呈」、「戦場カメラマン渡部陽一氏の講演会」の3部で構成。ホールでの展示も併せて、みんなで平和について考えるひと時となりました。
戦場カメラマン・渡部陽一氏が講演、平和の尊さを実感
戦場の最前線で、特に子どもたちの写真を撮り続け、戦争の悲惨さといのちの大切さを伝える渡部陽一氏が登場した瞬間、会場は大喝采! 舞台を左右に動き回り、全身を使っての語りかけで観衆を魅了しました。
ときにスライド写真を使って今世界で起こっていることが分かりやすく説明され、思わず目を背けたくなるような写真もありましたが、戦地で生きる子どもたちの目には不思議と希望の光が満ちていました。
地球上から戦争がなくなったら、「学校カメラマン」として世界中を回り、子どもたちの声を伝えたいとのこと。武器を携える少年兵が早く世界からいなくなるようにと私たちも祈るばかりです。
質疑応答では子どもたちからの質問に一つひとつ一生懸命答え、最後の「ありがとうございました」との丁寧なあいさつにも氏の人柄を感じました。
ヒロシマ・被爆の証言
(社)東友会(※)の仲伏幸子さんからは、ヒロシマでの被爆体験を証言。
「“その日”も幼稚園の黒板に絵を描いて遊んでいました。突然明るい白い光が窓全体に広がり、その直後の地響き。爆風で飛ばされた窓ガラスの破片が背中に突き刺さったまま無我夢中で帰りました。」
「祖母は家の下敷きになり、全身にやけどを負った母を大八車に乗せて死体が転がる道を延々と歩き続けましたが、母は8月8日、31歳で生涯を終えました。放射能を含んだ「黒い雨」が降り、ぼろ布をまとった人たち、と思ったのは焼けただれた皮膚の一部でした。1発の原爆が14万人の命を奪いました」
最後に仲伏さんは世界中の核兵器保有の状況に触れ、「核のない真に平和な世界になるよう願ってやみません」と結びました。(※東友会=社団法人 東京都原爆被害者団体協議会)
続けて、東都生協組合員から(社)東友会の皆さんに、「寒い冬、心も体もこれで暖めてください」と、今年も組合員が作ったモチーフ編みのひざかけを贈呈しました。
東日本大震災で被災した産地からの報告
今回のつどいでは、「平和」を広く捉え、戦争について考えることに加え、東日本大震災が産直産地へ及ぼした影響についても取り上げました。被災した2つの産地・メーカーが、被災状況や復興への取り組みを報告しました。
<鈴木富春さん(千倉水産加工販売㈱会長)からの報告>
「さんま加工の女川工場(宮城県)はすべて津波で流され、震災直後は工場や水産業の将来を考えると、地獄にいるように感じました。工場長がラジオで津波が来ることを知り、従業員を避難させたので、30人の従業員が全員無事だったことが何よりでした。」
「千葉の本社にいた私は、数日後ようやく現地に入って避難所でみんなの無事を確認した時のことを思い出すと、いまだに涙が出ます。同じ場所での再建は難しいでしょう。でも加工工場がばらばらに点在するのではなく、今後は環境を考慮した加工団地が必要です。まだまだ国や行政の水産業への支援は見えませんが、くじけず頑張ります。」
<土佐秀美さん(JAやさと 営農流通部 営農指導課 課長)からの報告>
「3月11日の地震後は、まず電話がつながらず40キロ離れたつくば市まで行って連絡を取りました。電気の復旧には3日、水は1週間から10日かかりました。」
「地震の日は晴天でハウスの天窓を開けていたため停電で閉められず、その夜から続いた寒さのために作物への被害が大きく、きゅうりは枯れて1, 200万円の被害。鶏卵センターでは、たまごはほぼ割れ、水・飼料・ガソリンなどの燃料不足などのために生産が減少。今も90%程度の生産です。一方、米は東北産地の代替で3月は東都生協で140%の利用でした。全体として今はほぼ通常状態に戻りましたので、JAやさとの商品をどんどん利用してください。」
会場ロビーに設けられた東日本大震災支援コーナーでは、被災した千倉水産加工販売㈱、JAやさとに向けた応援メッセージを書き込む姿も見られました。
そのほか、会場ロビーには戦争の悲惨さを伝えるパネル、地雷のレプリカなどを展示し、みんなであらためて平和の大切さを考える一日となりました。
東都生協では、今回のつどい以降も、平和の大切さ、いのちの尊さを次世代に伝えていくために「戦争体験文集」の作成や「トーク&ピースコンサート」(10月24日 成城ホール)、「東京平和めぐり」(11月26日)、「平和募金」(11月~)などの取り組みを予定しています。(詳しくは今後のイベント・企画の案内や組合員活動情報紙「ワォ」をご覧ください。)
あなたも、身近な活動に参加して、平和について考えてみませんか?










































